皆さんこんにちは、アンドリューです。
先週からオンライン授業に入って
僕は取っている授業数も少ないのですが、
どの授業もぽんぽん課題を出していくので
気がついたらもうたくさん溜まってます😨
そんな中でなぜブログを更新しているのか
分からなくなってきていますが、
僕の5月はすこし忙しくなりそうです(。-_-。)
今週のお題
さて、今週のお題は「会いたい人」です。
「抱きしめたい家族」「じっくり語り合いたい友人」「一緒にお出かけしたい恋人」「愛を伝えたい憧れの人」など、あなたがいま一番「会いたい人」についてブログにつづってみませんか? ご応募をお待ちしております。
自粛期間中なので会いたい人くらい居るだろ
ということだと思いますが、
僕は春休みから
基本家から出ない生活をしているので
実質3ヶ月間この生活を続けているので
もはや今更感があるのですが、
会いたい人の話で
僕の家族の話とか友人の話をしても
仕方がないと思いますので
今回は皆さんも会いたい”あの人”
について書いていきたいと思います!
石油王より会いたいあの人
世界中にいる誰しもが
一度は生の石油王に会ってみたいと
思いますが、
その石油王よりも会いたい”あの人”に
ついて今回は調べてきました。
そう、福沢諭吉です。
このようなご時世ですと
特に接客業などのバイトはできなくなるので
お財布が寂しくなり
福沢諭吉が恋しくなってきます。
ですが、私たちは
「福沢諭吉に会いたーい❤️」と言いつつも
福沢諭吉について知っていることは
案外少ないのではないでしょうか。
相手のことも知らないのに会いたいというのは
向こう(諭吉)からしたら失礼な話なので
今回は福沢諭吉について
調べたことをまとめていきたいと思います。
ちなみに僕は福沢諭吉のことを
『学問のすゝめ』を書いたということしか
知りませんでした(。-_-。)
諭吉は蘭学者
諭吉が「学問のすゝめ」の著者であることは
皆さんも知っているとおり
諭吉が学問に優れた人だということは
わかると思います。
しかし、具体的に何をやっていた人なの・・?
と言われれば
フーン(;´_ゝ`)
と返すしかないという、、、
というわけで「福沢諭吉 wiki」で
何をしていたかについて調べると
どうやら蘭学者だったようです。
蘭学とは「蘭」がオランダという意味なので
オランダについて調べる人
だったようですね。
ただ生まれてからそのまま蘭学者になったわけでなく
初めは『論語』、『孟子』、『書経』、『詩経』などの
中国の学問から学んでいったとされています。
そして19歳の時に蘭学と出会い
24歳の時には蘭学のみでは
世界に通用しないことを知り、
独学で英語を学んだとされています。
中国語にオランダ語に英語を習得したと考えると
福沢諭吉、なかなかに出来る人物のようですね
(知ってた)
福沢諭吉は慶應義塾の創設者
知っている人は知っていると思いますが
福沢諭吉はあの慶應義塾の創設者です。
「東大はあたまがいい」
くらい大学の知識がない僕でも
慶應義塾は早稲田にならぶ
超エリート大学だという
ことくらいは知っています。(多分)
慶應義塾は学校法人になる前は
蘭学塾として主にオランダ文学や
オランダ語などを教える塾でした。
(画像はかつて大坂にあった蘭学塾)
この蘭学塾は1858年に
福沢諭吉が開き、
この1858年が慶應義塾の
創立記念の年になっているそうです。
(使わなさそうな知識だけど)
また、この蘭学塾は
諭吉が蘭学が世界に通用しないことを
悟った24歳(1859年)の後の
1863年に英学塾に変え、
渡米から帰国した1年後の1868年に
蘭学塾から慶應義塾に名前を変え
諭吉は教育に専念したとされています。
へーって感じですね
『学問のすゝめ』って何よ
マジカルバナナばりに
福沢諭吉といえば『学問のすゝめ』ですが、
その『学問のすゝめ』については
そんなに知らないっていう、、
というわけで調べました。
『学問のすゝめ』は全17編からなる
学問は必要だと述べた論文集だそうです。
全17編について全部語ると長くなりますので
僕が要約してまとめますと、
丁度福沢諭吉が居た1835〜1901年というのは
日本が江戸から明治に変わった時代なんですが、
(江戸→明治 1868年)
江戸から明治にかけて大きく変わったのは
封建制度の廃止です。
封建制度とは
武士社会における階級制度のようなもので
武士が成果を出すと君主はそれに褒美を与える
という御恩と奉公という関係がありました。
それが明治になって急になくなったわけですが、
『学問のすゝめ』では
この封建制度を否定し、
自由平等と個人の自由から
国家の自由独立について述べています。
『学問のすゝめ』で最も有名な言葉である
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
というのは上下関係がある封建社会を否定し
人民が主権を持ち政治を行う
民主主義の重要性を説いていると考えられます。
これらの文章を福沢諭吉が平易に書いたおかげか
『学問のすゝめ』は最終的に300万部売れたとされ
当時の日本の人口は3000万人だったことを考えると
日本人の10分の1は持っていたことになりますね。
まぁ 鬼滅の刃は2500万部らしいですけど
(関係ない)
締め
というわけで僕も福沢諭吉について
色々知識をつけたので
これで堂々と「諭吉と会いたーい❤️」と
言えるようになりました。
まぁ 4年後の2024年には
福沢諭吉から渋沢栄一になるんですけどね。
という感じで今回はこの辺で!
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来週のお題 「自慢の一着」
先週のお題 「#おうち時間」
参考 2020/5/14