皆さんこんにちは、アンドリューです。
ずっと家にいるので
寝たい時に寝て、お腹すいたときに起きて
とりあえずゲームをする。
という生活をしているんですけど
おかげさまでお腹がいっぱいになったら
すぐ眠くなるという
赤ちゃんみたいな体質になってしまいました。
そんな赤ちゃんの僕ですが、
今日もブログを書いていこうと思います。
今週のお題
さて、今週のお題は「外のことがわからない」です。
外に出ることや、対面での関わりが少なくなっている今。「外のことがわからない」と感じることはありませんか? 今週は、皆さんのさまざまな「わからない」を募集します。何が「わからない」のか、わからない……なんてことはないですよね?
この「今週のお題」ははてなブログが
公式で出しているお題を書かせてもらっているんですけど
どうしたはてなブログ
っていう感じのお題ですよね。
いつもだったら
今週のお題は「海」ですとか
今週のお題は「ホワイトデー」ですとか
という風に名詞であることが
多かったのですが、
「外のことがわからない」って
完全に文章というか感想ですからね。
まぁ 時代もはてなブログも
変わっていくというのが必然なのでしょうか。
外のことがわからない
お題が「外のことがわからない」
ということで
それに類することについて
書いていこうと思いますが、
正直、外に出なさすぎて
家の外についても考えてませんし
確かに外についてわからないですけど
別にいいかなーと思うので
今回は、自分と他者の位置関係 について
考えていこうと思います。(!?)
というのも、よくよく考えれば
外というのは外的要因がある場所と
見ることができます。
そうした時に外的要因以外の
内的要因があるものを広く見た時に
結論、自分自身が内的要因となります。
ドイツの心理学者、アドラーは
「人の悩みの全ては人間関係からくる」
と述べていますので
今回は
内的要因である自身と
外的要因である他者について
考えていこうと思います!
他人がわからない
皆さん、こんなことを
考えたことはないでしょうか。
「他人が何について
考えているのかがわからない」
よく、
「私が何を考えているのか当てて見てよ」
と言ってくる人がいますが、(いるのか?)
適当に
「うーん、飯のこと!」というと
「残念〜w
フェルマーの定理についてでした〜w」
なんてことがよくありますよね。(?)
まぁこれがわかる人は占い師でも超能力者でも
やればいいと思いますけれども。
ただ、今回は
「どうせ他人が何を考えているのか
わからないんだよ」
で終わらせないために
自分からみた他者について
色んな視点で分析していきたいと思います。
アドラーの場合
ドイツの心理学者アドラーの名前は
先ほども出ましたが
このアドラーは心理学の三大巨頭の一人と
呼ばれるほど超偉大な人物です。
そんな僕もアドラーの考え方については
隅っこだけかじった程度にしか知りませんが、
まずはこのアドラーによる
他者についての考え方を
みていこうと思います。
アドラーは悩みについて
「だいたいはあなたの課題ではない」
と述べています。
最近ではアンジャッシュの渡部さんに
批判が集まっているのを
ツイッターでよくみます。
その渡部さんの浮気を
肯定するわけではないですが、
渡部さんが浮気をしたからと言って
ツイッターで批判している人たちに
直接何かをしたのか?
と僕は見て思います。
こういう、
自分が実被害を受けた訳でもないのに
他者について口出しをする人は
自身の課題と他者の課題を混同していると
考えられます。
そういう人は他者の被害を
自分の被害だと感じてしまい
自分の課題にプラスして
余計に他者の課題も抱え込もうとします。
もちろん課題が増えると
その分悩みも増えますので
ストレスも大きくなるという
悪循環が生まれます。
アドラーはこのような状況に対しては
まずは課題の分離をすることが
大切だと言います。
例えば何かの悩みに直面した時に
それは本当に自分の課題なのか?
それとも相手の課題なのか?という
風に分けるということです。
結果として相手の課題だったなら
相手をコントロールすることは
出来ないわけですから
それに対して自分が考える必要はない。
ということですね。
つまり
相手のことはわからなくて当然なので
自分のことに集中すべきである。
と見ることができますね。
哲学の場合
哲学というか僕の考えの場合です。
僕も対人関係については
最近よく考えているところで
客観と主観というものを軸に考えています。
主観とは自分の立場から見た景色で
客観とは他者から見た景色なのですが、
人間関係の悩みの根本として
主観が客観に支配されているのでは?
という風に考えました。
多分多くの人間は自身に対しての評価を
比較という形で出していると思います。
例えば僕は勉強ができるを要約すると
僕はあいつよりも勉強ができる。
というような感じです。
自身に対しての評価を
比較で置く場合に起きる現象としては
自分の価値が他人依存になり
自我を持つことが出来ないということです。
自我がない人は自分の意見を
持っていないということなので
自己肯定感が低かったり
行動に積極性がなかったり、
責任を持つことを避けようとします。
この時に主観が小さくなり
客観の部分が主観を侵食し始めます。
そうなると周りの意見によって
自分の意思決定が
左右される状態になってしまいます。
ただ、これが別に悪いという話ではなく
そもそも良い悪いというのは
その人にとって都合が良いか悪いか
という話ですので、
本人がそれで満足しているならば
むしろ良い人生を歩めると思います。
ただ、自身で自分の人生の選択を
コントロールしたいとなると
自分の意思決定を他者に委ねるのは
良くない行為になっていきます。
なので逆に考えて見ましょう。
上では比較によって
自己が形成されているという話をしました。
では、他人がいなければ
自分は存在しないのでしょうか?
僕の答えはNOです。
哲学者のデカルトも
「我思うゆえに我あり」
という言葉を残している通り
他人が何を思っていたとしても
自分がそう思うのであればそうなのです。
人生の中では自分の目線でしか
生きることができません。
確かに社会で生きるには
他人から自分がどう見えるか
ということも重要ではありますが、
それよりも自我を持ち、
自分の意思を持つことが大切だと
僕は考えています。
結論
では結局
他人がどう思っているのか
についてはどうなの?
ということですが、
自分が自我を持てば
相手が何を考えていても問題はないし
自分が自我を持っているならば
相手も自我を持っているので
その両方を尊重できるように付き合えばよい
ということだと思います。
人生の主人公は自分なのですから
他人について考えることよりも
まずは自分のことについて
考えてみてみると良いかもしれませんね。
ちなみに
「私が何を考えているのか当てて見てよ」
という人の思考を僕が分析するならば
「自分が何を考えているかわかるはずがない」
「正解を適当に言っても
相手はそれを間違っていると証明する方法がない」
「会話の主導権を私が握ってアタフタしている相手愉快すぎ」
などという感じでしょうか。
実際に何を考えているかなんて
本当はどうでもいいんですよね。
という感じで今回はこの辺で!
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来週のお題 「傘」
先週のお題 「好きなお店」