来週のお題 「わたしと乗り物」
先週のお題 「わたしのイチ押しアイス」
皆さんこんにちは、アンドリューです。
これを書いている今丁度、風邪をひいてしまいまして
首より下は比較的元気なんですけど
鼻水のせいで頭が痛くて右耳が詰まって
涙が出て喉が痛くて
僕の頭で実質大乱闘が起きてますね🤔
さて、今週のお題は「人生最大の危機」ということで
今風邪で頭やられているので危機の真っ最中ではありますが
話をしていこうと思います☺️
僕が人生で一番やべぇ!っていう出来事は特に思い出せないのですが
まだ約20年くらいの人生で死にかけたことは実は3回ほどありまして
まぁどれもしょうもないものではありますが、
今回はそれについて話をしていこうかなーと思います。
ではどうぞ!
死にかけ1回目
これは僕が小学生の時の話です。
僕が小学生の頃は今よりはまだ外で遊んでいましたので、
近所の公園や友達の家によく遊びに行ったものです。
そうした時に当時小学生の僕からしたら小学校の校区内は広いですので
友達の家に着くころには少し疲れていたりしました。
そうした遠い距離にも遊びに行けるように、
僕は姉とその友人と一緒に自転車に乗る練習をしていました。
最初は補助輪を付けて入っていたので、なんとかなりましたが
やはり補助輪が邪魔でうるさいですのでそれが外せるように
姉と日々練習を重ねていました。
そんなある日。姉の友人がこんなアドバイスをしてくれました。
「自転車を乗りこなすためにはスピードに慣れないといかんよな」
ということで、家の丁度すぐ近くにそれなりの坂道があったので
そこで練習をすることにしました。
最初はちょっと登ってすぐ下っての繰り返しでしたが、
僕はすぐに調子にのって坂の一番上から試してみようと思い
そのまま坂の上まで来ました。
最初に坂で練習をしたのと同じようにすーっと走り始めましたが
下り坂が続くにつれて自転車のスピードは段々と上がっていき
ついにはぱっと見であきらかに制御できていない状況に陥りました。
それを見た姉が、「ブレーキ!ブレーキ!」と言いますが、
それを聞いた僕の返答は
「ブレーキって何」
目の前には車。
衝突しそうになりますが、運良く車は回避。
しかし、車が避けた後のそこはなんと石垣。
僕はそのまま石垣とアッポーペンしてしまい、
救急車で運ばれた というお話でした。
ちなみに石垣にぶつかったあとの記憶はありません😅
自転車の練習をする時はまずブレーキから覚えないといけないですね!
というかこれ、怖い話というより痛い話では🤔
・・・では次の話に行きましょう。
死にかけ2回目
これは僕が中学に上がったくらいの話です。
僕の家では昔、親が年に数回くらい旅行に連れて行ってくれるのですが
その時はいとこも一緒に場所は覚えていませんが旅行に行きました。
その時は丁度夏で宿泊先のホテルにはプールがあったものですから
水着を持って行ってそのプールで遊んでいました。
そのプールは2つに分かれていて
浅い子供用のプールと深めの大人用のプール。
僕はまだ中学に上がったばかりですから
深いところには足が着きませんでした。
なので浅い方で遊んでいたのですが、
これもまた中学にあがりたての僕にとっては中途半端な深さで
遊ぶ内に次第に飽きるのも時間の問題でした。
ですので、飽きたころに深いところに行きますが
もちろん足がつかないので浮き輪を貸してもらい、
それでなんとかしていました。
ですが、浅いところにすぐ飽きたように
浮き輪で浮くのもすぐ飽きてしまったので
一度浅いところに戻り、足を下に着けなくても浮くのを確認してから
深いところに戻って、浮き輪はいとこに渡して泳ぎはじめました。
それからしばらくも経たずに、
「アッ! このプール深い!」
←知ってた
浮き上がろうと下を蹴り上げようとしますが
もちろん下に足は届かないので蹴り上げられません。
「ボボボボボボボボッ!ボゥホゥ!ブオオオオバオウッバ!だずげで!」
溺れている間はなんとか助かろうと
何かを掴もうとしますが、プールの真ん中くらいにいたものですから
何かを掴めるわけでもなくそのままオボボボしてました。
体感では5分くらい。実際は多分30秒くらいと思いますが
それくらい経った後に親が溺れかけている僕に気が付いて
浮き輪を投げてくれました。
そのおかげでなんとか一命を取り留めましたが
その後、鼻に水が入ってテンションはダダ下がり
体力も8割持っていかれたので
浮き輪でぼーっと浮かびながらプールの時間が終わりました。
別に僕は泳げないということではないのですが、
実際にこのとき溺れていますので、
慢心はだめだよ^^っていうお話でした。
溺れてる間はこの世の終わりみたいな気持ちでしたね。
死にかけ3回目
これは今からまだ3〜4年前のお話。
僕が京都から北海道に来て2〜3年経った頃くらいです。
当時僕は寮生活をしていましたので
親と離れるのも2〜3年経っていますので慣れて普通に生活をしていました。
そんな時期の冬。
鼻水が出てきて、頭が痛く
しかも尋常ではないくらいに体調が悪くなりました。
心配になって病院に行ってみると診断結果は「インフルエンザ」
インフルエンザになると学校に来るな(出席停止)をくらいますが
それと同時に寮からも(感染する可能性があるので)いれなくなるので
実家(京都)に帰らないといけなくなります。
ただ、インフルエンザの状態で1人
北海道から京都にいくのは厳しいですから
親に迎えに来てもらうという形になりました。
しかし、急にインフルになってしかも1月末なわけですから
親も忙しく、そもそもインフルで飛行機に乗れるかも怪しいですので
寮から離れたホテルにしばらく滞在するということが決定しました。
その寮から出る2日前。
寮生活の部屋は2〜3人部屋だったのですが、
もちろん1人部屋に隔離されていました。
そしてその日に熱を測ってみると
「40度」
僕は元から頭がおかしいので体は全然元気ではないですが
「40度」にテンションが上がっていました。
が、寮生活で人と関わってはいけないということで
若干寂しかったです(´・ω・`)。
(「40度」出たよ!!って自慢できないですし)
その翌日。寮から出る1日前。
今思えばこの時がピークでした。
熱を測ると脅威の
「42度」
やっばっっっwと思う力もないので1人で
「お風呂じゃん(冷静)」と言ったことは覚えています。
さすがにここまで来ると布団で横になることしか出来ないですので
考えるしかやることがなくなってきます。
そうしたときに「42度」という数字を思い出して
「あぁ、死ぬのか」
という風に考えていました。
が、残念ながら死ぬことはなく
無事に目を覚まし、予定通りに寮から出てホテルに着いてゆっくりして
熱も下がり体調も良くなりましたので
なんとか寮にも帰ることができました。
(寮からすごい離れたところに泊まっていたんですけど
担任の先生がホテルに見舞いに来たのはめちゃびっくりでした😭)
まぁ あれですね。
人は本当に死にそうになると
「死にたくない死にたくない!!」ってなるよりは
「死ぬのか」っていう感じで死を受け入れるんだなーっていうお話でした。
まぁ僕だけの場合かもしれませんが😉
という感じで今回はこの辺で!
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